大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

秋田地方裁判所 昭和44年(わ)170号 判決

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

第一公訴事実の要旨

一被告人荒井は、昭和四四年一一月一六日、秋田べ平連主催のもとに、秋田市千秋公園から、同市大町一丁目、同町四丁目の各交差点、通称中央通りおよび国鉄秋田駅前等を経て同公園に向けて行なわれた集団示威行進に参加したものであるが、右集団示威行進は、秋田県公安委員会からジグザグ行進を行わないことなどの許可条件が付せられていたにもかかわらず、ほか約六〇名と共謀のうえ、同日

(一)  午後三時一七分頃、同市中通一丁目四番八号付近車道上、

(二)  午後三時二〇分頃、同市中通一丁目三番一号付近車道上、

(三)  午後三時二六分頃、同市千秋矢留町一番一号交差点付近から同市大町一丁目二番一九号付近に至る車道上、

(四)  午後三時三四分頃、同市大町二丁目二番一二号付近車上、

(五)  午後三時三五分頃、同市大町二丁目二番一号交差点付近から同市大町三丁目二番四一号付近に至る車道上

(六)  午後三時三八分頃、同市大町四丁目二番四二号付近から同二番三四号付近に至る車道上、

(七)  午後三時五七分頃、同市中通二丁目五番二〇号付近車道上、

(八)  午後三時五九分頃、同市中通一丁目六番二八号から同一一番一六号に至る車道上、

(九)  午後四時一分頃、同市中通二丁目一一番九号付近から同七番六号付近に至る車道上

において、それぞれジグザグ行進を行ない、

二被告人荒井は、昭和四五年六月一三日、秋田大学学生会主催のもとに、秋田大学から日銀ビル前交差点、木内デパート前、中通郵便局前、羽後銀行本店前、通称三丁目橋、秋田銀行本部別館前交差点、山王交差点を経て八橋運動公園に向けて行なわれた集団示威行進に参加したものであるが、右集団示威行進には、前記公安委員会からジグザグ行進など一般公衆に対して迷惑をおよぼすような行為をしないことなどの許可条件が付されていたにもかかわらず、ほか約四五名と共謀のうえ、同日午後二時三分頃から同六分頃までの間、秋田市中通一丁目三番三九号中通郵便局前交差点から同市中通三丁目一番四一号付近の通称三丁目橋に至るまでの車道上において、ジグザク行進を行ない、

三被告人らは、いずれも同月一八日、秋田大学全学闘争会議主催のもとに、秋田大学から白銀ビル前交差点、木内デパート前、中通郵便局前、羽後銀行本店前、通称三丁目橋を経て同大学に向けて行なわれた集団示威行進に参加したものであるが、右集団行進には前記公安委員会からジグザグ行進、フランス式デモなど一般公衆に対して迷惑をおよぼすような行為をしないことなどの許可条件が付せられていたにもかかわらず、ほか約二〇〇名と共謀のうえ、同日

(一)  午後三時五分頃から同七分頃までの間、同市中通二丁目四番二三号白銀ビル前交差点およびその付近の車道上においてジグザグ行進を、

(二)  午後三時七分頃から同一〇分頃までの間、同市中通二丁目三番六号旧秋田地方検察庁付近から同市中通一丁目四番八号セントラルデパート付近に至る車道上において、フランス式デモを、

(三)  午後三時一〇分頃から同一四分頃までの間、前記セントラルデパート付近から同市中通一丁目三番一号木内デパート付近に至る車道上において、ジグザグ行進を、

(四)  午後三時一七分頃から同一九分頃までの間、同市中通一丁目三番三九号中通郵便局前交差点付近から同市中通三丁目一番八号吹浦帽子店付近に至る車道上において、ジグザグ行進を、

(五)  午後三時二〇分頃から同二一分頃までの間、同市中通三丁目一番四一号羽後銀行本店前交差点およびその付近の車道上において、ジグザグ行進を、

それぞれ行ない、

もつて、前記各許可条件に違反したものである。(罰条、昭和二四年八月二二日秋田県条例第二五号道路交通法等保全に関する条例五条、四条三項、刑法六〇条)。

第二当裁判所の判断

一公訴事実について

公訴事実一については、〈証拠―略〉を総合して、これを認め、

公訴事実二については、〈証拠―略〉を総合して、これを認め、

公訴事実三については、〈証拠―略〉を総合して、これを認める。

二本件罰条について

当裁判所は、慎重に検討を重ねた結果、被告人らの本件許可条件違反行為の処罰の根拠である前記道路交通等保全に関する条例(以下本件条例という)四条三項および五条が、明らかに憲法に違反し、無効の規定であるから、被告人らの右各行為につき適用することができないと判断した。その理由は以下のとおりである。

(一)  本件条例四条三項について

1 本件条例は、「車馬或は徒歩により多数の参加する示威行進又は示威運動であつて、道路公園その他公衆の用に供する場所を行進し、又は占拠しようとするもの」(以下これらを集団行動と総称する)について、公安委員会の許可制による事前の規制を加えるものであるが、一般に集団行動は、憲法二一条に保障する表現の自由に属し、殊に国民大衆の政治的思想等の表現の手段として、現代の議会制による間接民主制社会においても、選挙権の行使等による参政権を補充する機能を有し、思想の自由な交流を前提とする民主主義社会の健全な維持発展のために最も重要な基本的人権の一つとして、立法その他国政のうえで最大の尊重を必要とすることはいうまでもない(憲法三三条)。もちろん。表現の自由といえどもその濫用は許されず、とくに集団行動は、道路その他の公共の場所で、多数人の集合体によつてなされることを特徴とし、他の社会生活上の利益と衝突し易いので、その特殊性に基づき、公共の福祉による制約として一定の法的規制を受けなければならないこともまた当然である。しかし、その法的規制は、とくに事前抑制がなされる場合には、表現の自由の不当な侵害をもたらす可能性が大きく、かつそのような場合の事後的救済がきわめて困難であることに鑑みれば、公権力の恣意的な行使による表現の自由に対する不当な侵害を防止するため、可能なかぎり明確な基準を定めて、取締当局の裁量の範囲を限定し、その規制が公共の福祉による必要最少限度の制約に止まるように制度的保障を設けなければならない。

ところで、最高裁判所大法廷判決(昭和二六年(あ)第三一八八号同二九年一一月二四日、昭和三五年(あ)第一一二号同年七月二〇日、昭和四〇年(あ)第一一八七号同四四年一二月二四日)は、つとに、集団行動に対し公安委員会の許可による事前規制を加える場合であつても、公共の安全に対する直接かつ明白な危険が認められる場合以外は原則として許可が義務づけられ、不許可が厳格に制限され、実質上届出制と異なるところがないかぎり、やむを得ない必要最少限度の規制であつて、憲法二一条に違反しないとの判断を明らかにしている。当裁判所も、本件条例の検討に当つて、右の判断を尊重し、そこに示された原則に立つて合理的に解釈すべきであると考える。

2 本件条例は、集団行動の規制につき、前文一項において、「この条例は、現行道路取締に関する法令において規定を欠いている示威行進、示威運動について一般の者が道路等を通行し又は使用する自由を奪われ又は妨げられることのないよう予め秩序を保つための規律を設けんとするものである。」という目的を規定をしているところに特色がある。すなわち、本件条例は、集団行動がその性質上、道路、公園その他公共の場所(以下単に道路等という)の一部または全部を排他的に使用し、他人の通行ならびに利用を妨げ、ひいては道路等における危険の発生を惹起するおそれもあるところから、集団行動に対し一般公衆の道路等の通行、使用の保全の必要性との調和をはかる目的で、集団行動に一定の規制を加えようとするものであることが明かである。(本件条例の名称が「道路交通等保全に関する条例」となつているのもこのことを示すものと考えられる。)このような観点から、集団行動に対し、必要最少限度の規制を加えることは、公共の福祉による制約として当然許されるところである。しかし、表現の自由を最大限に保障する憲法二一条一三条の趣旨に照らすと、集団行動が必然的に道路等における秩序に及ぼす影響は、むしろ道路等を通行、使用する一般公衆の側において、ある程度これを忍受すべき義務があるものというべきである。(なお、一般公衆においも、集団行動によつて表現される思想内容を知る自由を有するともいいうる。)したがつて、単なる道路交通の円滑をはかるためという理由によつて集団行動を規制することは、集団行動の自由を否定するに等しく許されないと解するのが相当であつて、集団行動によつて生ずるところの通常予想されるような道路等における混乱を避けるためには、一般公衆の側に対して、道路交通法(以下道交法という)六条、七条等に基づく交通規制が加えられることがあつてもやむを得ないと考えられ、集団行動の自由と一般公衆の道路等の通行、使用の自由との間には、特別な法的調和がはかられなければならないのである。

さて、本件条例第一項は、集団行動に対する許否の基準として、「公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起することが明瞭であると認められる場合の外許可をしなければならない。」と規定し、また、同条三項において、公安委員会の許可条件付与の要件として、「参加者が秩序を紊し又は暴力行為をなすことによつて生ずべき公衆に対する危害を予防するため必要と認める条件」と規定している。これによれば、本件条例は、一見、道路等における危険以上に、いわゆる公共の静謐の保持などをも含む社会生活一般の秩序の保持を集団行動に対する規制の直接の目的(保護法益)とし、平穏正常な社会生活に対する危険発生をその規制基準としているようにもみえる。しかし、一般に「公共の安全」という用語は、きわめて抽象的な概念で、各種法令においてそれぞれ違つた意味に用いられているので、当該法令の目的および規定全体の趣旨に照らして、その具体的に意味するところを合理的に解釈しなければならない。(なお、道路上の交通の安全ということが、公共の安全の中に含まれることは論を俟たない。)本件条例は、とくに前文において、前記のとおり目的を明示するとともに、その解釈適用に当つては、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用し、表現の自由その他の人権を不当に侵害することのないように戒めていることは、前文全体の趣旨から明らかであるから、右四条一項、三項の文言も右前文の趣旨に沿つて合理的に解釈しなければならない。そうすると、右四条一項の「公共の安全」とは、広く社会生活全般の秩序が平穏正常に保持された状態を意味するのではなく、道路等における一般公衆の平穏平常な通行、使用の自由が保持された状態を意味し、「公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起することが明瞭であると認められる場合」とは、前記のとおり道路交通等の阻害が集団行動に通有する性質であることに鑑みれば、集団行動により、道路等に著しい混乱が生じ、そのため道路等を通行、使用する一般公衆の生命、身体、財産等に危険を及ぼすなど、その平穏正常な通行、使用の自由を著しく阻害する明白かつ現在の危険が存在することを意味すると解すべきである。この意味から四条三項にいう「秩序」も道路等における交通、使用の秩序と解すべきであり、広く社会秩序一般と解すべきではなく、したがつて「公衆に対する危害」も、道路等における公衆に対する危害と解すべきである。(以上については、本件条例制定当時の県議会議事録における立法の趣旨説明が参考とされるべきである)。

このように、本件条例四条一項は、他の多くの集団行動に関する条例が、一般的な公共の安全の保持を規制の目的および基準としているのとは異なり、規制の目的および基準を、道路等における秩序保持に限定して、一応、原則として許可を義務づけ、不許可を制限しているものと解することができる。しかし、本件条例の許可制が、明確な基準のもとに全体として実質上届出制と異なるところがないといえるか否かについては、さらに四条三項の検討を要する。

3 本件条例四条三項は、公安委員会が、集団行動の許可に際して許可条件を付しうることとし、その要件として「参加者が秩序を紊し又は暴力行為をなすことによつて生ずべき公衆に対する危害を予防するため必要と認める条件」と総括的に規定している。しかし、公安委員会の許可条件付与の要件に関しては、憲法二一条および三一条の両趣旨に沿うよう、公安委員会が許可条件付与に当つて準拠すべき具体的かつ明確な基準が示されていなければならない。

(イ) 憲法二一条との関係について

許可条件は、行政処分に付される負担であり、本来、参加者が自由に選択すべき集団行動の形態、実施の日時、場所等に関してこれが付与される場合、このことを集団行動に対する部分的不許可とみることもでき、また、許可条件違反行為が本件条例五条により処罰の対象となるので、集団行動に対する重大な規制の根拠となる。したがつて、許可条件は、本件条例四条一項の趣旨に照しても、基本的にはそれを付与しなければ道路等における公共の安全に対する明白かつ現在の危険を防ぐことができない必要最少限度の事項にかぎられると解すべきである。もつとも集団行動には、多種多様の形態が考えられるのであつて、それらが道路等の秩序に及ぼす影響もまた多岐にわたることから、条例自体があらゆる集団行動に対し、予め制限事項を画一的、網羅的に規定するよりも、むしろ、公安委員会が個々の事案における集団行動の規模、実施の日時、場所、道路交通の状態等の具体的な事情に応じて、その合理的な裁量により必要最少限度の許可条件を付与することとするのが妥当である。しかし、その反面、公安委員会に余りに広い裁量権を与えると、取締の便宜上許可条件を厳しくすることによつて、集団行動に対し過剰な事前規制を加えるという運用に陥る危険性があり、その事後的救済はきわめて困難であるから、集団行動の自由を著しく危うくすることになる。したがつて、許可条件付与の権限を集団行動に対する取締当局たる公安委員会に委ねることは慎重にしなければならず、条例において、予め、許可条件を付しうる事項の範囲を具体的かつ明確に特定して、列記し、その中から個々の事案に応じた必要最少限度の条件を選択すべきこととするなどできるかぎりその裁量の範囲を限定しておくべきである。そのような立法措置をとることにより、許可条件付与を公安委員会に委ねる条例の目的を達成すると同時に、右のような取締の便宜のための過剰な規制の危険を最少限に押えることができるというべきである。

(ロ) 憲法三一条との関係について

本件条例五条は、許可条件違反に対する罰則を規定しているが、その構成要件の具体的内容は、公安委員会の決定する許可条件に委ねられているので、右罰則は、実質的に白地刑罰規定であるとみるべきである。

条例に罰則を定めることができるのは、憲法三一条に定める罪刑法定主義の重大な例外として、地方自治法一四条五項による罰則の委任に基づくものであるから、条例が、さらに公安委員会等の行政機関に罰則自体あるいは罰則の具体的な構成要件の内容について再委任することは、原則として許されないと解せられる。ただ、法令に再委任を許す旨の明文規定があるか、または再委任の合理的必要性がある場合で、かつ、委任事項をできるだけ特定して、行政機関が罰則の構成要件の内容を決定するために準拠すべき明確な基準を示し、その裁量の範囲を厳格に制限している場合には、罰則の再委任も許されるものと解すべきである。もし、そうではなく行政機関に対する包括的ないし総括的な罰則の再委任が許されるとすれば、憲法三一条に定める罪刑法定主義は全く潜脱される結果となるからである。もつとも、条例は、地域住民の代表機関たる議会により民主的手続を経て制定されるものであるから、行政機関のいわゆる委任命令において罰則の再委任をする場合と多少趣きを異にするが、結局は再委任の許容される範囲についての程度の差があるにすぎず、再委任の合理的必要性と具体的な委任事項の明示が必要であることには変りがないというべきである。とくに、本件条例のごとく、表現の自由に対する事前規制に関する事項については、個人の経済的自由に関する経済統制法令、(なお、旧酒税法六五条、五四条、同法施行規則六一条九号に関する最高裁判所昭和二七年(あ)第四五三三号昭和三三年七月九日大法廷判決参照)などとは異なり、再委任は一層厳格に制限されなければならない。

本件条例が、許可条件違反の罰則の構成要件の具体的内容の補充を公安委員会に委ねることについては、法令上の明文の根拠はないが、前記のように、公安委員会に許可条件付与に関するある程度の裁量権を与える必要性があり、かつ許可条件違反については罰則をもつてのぞむ合理的根拠があるものと認められるから、公安委員会の権限濫用を防止するに足るだけの委任事項の明示的特定がなされているかぎりそれは地方自治法一四条五項の委任の趣旨にも反せず、結局憲法三一条にも違反しないものと解せられる。

(ハ) 以上の観点に立つて本件条例四条三項を検討すると、同条項は、参加者が「秩序を紊すこと」または「暴力行為をなすこと」によつて生ずる「公衆に対する危害を予防するため」に必要な条件を付しうる旨定めている。暴力行為が公衆に対する危害となることは当然であつて、暴力行為禁止条項については、許可条件付与の基準として、一応具体的かつ明確であるということができよう。しかし、「秩序を紊すことによつて生ずべき公衆に対する危害」という要件は、果して明確な基準であるといいうるであろうか。ここでいう「秩序」とは、前記のとおり、一般公衆が平穏正常に道路等を通行、使用しうるための秩序と解すべきであり、また、「公衆に対する危害」とは、単に一般公衆に対する迷惑だけでは足りず、一般公衆の生命、身体、財産に対する侵害の切迫性が認められることを要すると解すべきであるが、道路等における秩序を紊すということは、具体的にはきわめて多種多様な状態がありうるのであつて、しかも前記のとおり、集団行動が必然的に道路等における秩序に何らかの影響を及ぼすものであり、一般公衆はある程度これを忍受すべき義務があるものと解される以上、右規定が果して集団行動に対し、いかなる態様、いかなる程度の制限事項を付しうる趣旨であるのか明らかではなく、その選択を公安委員会の裁量に委ねるというのであるならば、公安委員会の主観的判断により過剰な許可条件が付与されるおそれがあり、表現の自由が重大な侵害の危険にさらされることになる。すなわち、参加者が秩序を紊すことによつて生ずべき公衆に対する危害の予防という要件は、集団行動に対する直接の取締当局たる公安委員会が集団行動を事前に規制し、また、犯罪構成要件の内容を決定するに当つて準拠すべき基準としては、具体性、明確性に乏しく、公安委員会に必要以上の裁量権を与えているものといわなければならない。もつとも、公安委員会の定める「道路交通等保全に関する条例の施行に関する規則」(以下単に本件施行規則という)六条に、公安委員会による運用基準として許可条件として付与しうる事項の範囲が列記されているところであるが、許可条件付与の要件は、条例自体において定められることが重要なのであるから、条例自体の前記の重大な瑕疵が治癒されるものと解すべきではない。そのうえ、右施行規則六条二号には、「蛇行進、うずまき行進、すわり込みその他公衆に対し危険または著しい迷惑を及ぼす行為の禁止または制限に関する事項」と定められているが、右「著しい迷惑」という概念は、本件条例四条三項の「秩序を紊しまたは暴力行為をなすことによつて生ずべき公衆に対する危害」という要件には含まれないことは、同条一項に照らしても明らかであり、右施行規則の規定は本件条例四条三項の不当な拡張解釈に基づくものと認められる。そして、本件各集団示威行進に付された各許可条件においては、いずれも右施行規則の規定に基づき、「ジグザグ行進――フランス式デモなど一般公衆に対して迷惑をおよぼすような行為」と定められ、単なる迷惑行為にまで規制の対象が拡張されていることが認められるのである。ここに、本件条例四条三項による取締当局たる公安委員会に対する概括的委任が、取締の便宜のための過剰な規制をもたらす危険性が顕著に現われているといわなければならない。

なお、許可条件の付与は、秋田県公安委員会事務代行規程により、場所、行進路または時間の変更および重要または異例もしくは疑義ある事項を除いて、すべて県警察本部長の代決事項とされており、証人鈴木次男の証言によつても、右本部長の決定する許可条件の内容は、毎週一回開催される公安委員会の定例会議において事前または事後に報告されるにすぎず、また、右本部長が、直裁事項である重要または異例もしくは疑議ある事項の解釈を誤つて代決した場合に、これを公安委員会が事前に抑制しうるための制度的保障もないことが認められ、結局、本件条例がとくに公安委員会に許可条件付与の権限を委ねたにもかかわらず、実際は県警本部長によつて代行されていることが明らかである。以上のような本件条例の運用の実態をみると、許可条件付与の基準が具体的かつ明確に定められていなければ、集団行動に対する規制が取締の便宜のため過剰となる危険性は一層顕著であるといわなければならない。

4 このように見てくると、本件条例四条三項は、集団行動に対する重大な事前規制となり、また、罰則の具体的な構成要件となる許可条件付与の範囲について、概括的に規定するに止まり、行政機関である公安委員会に与えられるべき法的基準としては具体性、明確性に欠け、公安委員会に必要以上の裁量の余地を残すものであるといわなければならない。したがつて本件条例四条三項は憲法三一条に保障する罪刑法定主義に違反するうえ、前記のとおり、本件条例四条一項が原則として許可を義務つけ、不許可を制限していると一応解することができるとしても、許可条件付与の基準が明確性を欠くため、許可条件による過剰な規制により、集団行動による表現の自由を不当に侵害するという運用に陥るおそれがあることが顕著であるといわなければならず、結局、本件条例に定める許可制は、全体として実質上届出制と異ならない性質を有する必要最少限度の規制であるということができないので、明らかに憲法二一条に違反するといわざるを得ない。

(二)  本件条例五条について

1 本件条例は、地方自治法一四条一項に基づき、同法二条三項一、二、八号等所定の事務に関して、前記のとおりの道路等における秩序保持を直接の目的として制定されたことは明らかである。ところで、道交法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑をはかることを目的とし(一条)、また、その規制対象として、ひとり個人の行為のみならず、道路における集団行動をも含めていることは、同法一一条、同法施行令八条、同法七七条等の規定の趣旨から明らかであり、とくに同法七七条一項四号によれば、公安委員会は、道路における集団行動についても、警察署長の許可を要するものと定めることもできると解されるので、結局同法は本件条例と同一事項(規制対象)について異なつた態様の規制を定めているものということになるが、憲法九四条および地方自治法一四条一項によれば、条例は法令に反しないかぎりにおいてのみ制定できるにすぎないので本件条例と道交法の規定との関係について検討しなければならない。条例が、法令と同一事項(規制対象)について、異なつた態様の規制を定める場合であつても、法令および条例の目的その他規定の趣旨を全体的に考察して、法令が当該条例の規定を禁ずる趣旨であるか否かを合理的に解釈して、条例の規定の効力を決定すべきである。

2 まず、本件条例と道交法の目的が同一であるか否かについて検討する。前記のとおり、本件条例は、道路等における秩序の保持を直接の目的とするが、それは、四条一項の趣旨からも明らかなように、道路等における秩序が乱されることによる一般公衆に対する明白かつ現在の危険、すなわち実害発生の蓋然性が相当高度な具体的危険の防止を目的とするものであると解せられる。これに対し、道交法は、一般的には、道路における危険防止のほか、交通の安全と円滑をはかることを目的とするので、実害発生の蓋然性の高い具体的危険の防止を目的とする規定もあるが(たとえば七条三項)、必ずしもそれに限らず、単に交通の円滑をはかることを目的として道路上の各種行為に対し規制を加えようとする趣旨をも含むと解せられる。

ところで、道路における集団行動を警察署長の許可によつて規制する道交法七七条は、まず一項四号において、とくに「一般交通に著しい影響を及ぼす」ことを右許可を要する行為の基準として限定したうえ、さらに、同条二項において、当該申請にかか行為が、「現に」交通の妨害となるおそれがないと認められるとき(一号)、現に交通妨害のおそれがあつても、「公益上」または社会の慣習上やむを得ないものであると認められるとき(三号)および許可条件に従うことにより交通の妨害のおそれがなくなると認められるとき(二号)には、許可を義務つけている。そして、集団行動は、憲法に保障された国民大衆の思想、表現の自由の一形態として、民主主義社会の維持発展のために重要な機能を果すべきもので、まさに同条二項三号にいう公益性を有するものとして最大限に保障されなければならないから、右各規定は、集団行動に関しては、表現の自由と一般の道路交通の自由との特別な法的調和をはかるために、単なる道路交通秩序の維持のための規制基準とは異なり、とくに道路における一般公衆に対する明白かつ現在の危険、すなわち実害発生の蓋然性の相当高度な危険の存在を、その規制の基準として予定していると解すべきである。すなわち、右各規定の趣旨は一般交通に著しい影響を及ぼすような集団行動については、交通妨害により、ひいては道路上の危険を生ずるおそれがあることに鑑み、これを警察署長の許可にかかわらしめるとともに、前記最高裁判所判例に示された原則に照らし、本件条例と同様に、道路上の公共の安全に対する明白かつ現在の危険が認められないかぎり許可を義務つけ、不許可を厳格に制限しているものであると解することによつて、はじめてその合憲性が肯定される(最高裁判所昭和三七年(あ)第一五四〇号同三五年三月三日判決、刑集一四巻三号二五三頁参照なお、同判決引用の同裁判所昭和二六年(あ)第三一八八号、同二九年一月二四日大法廷判決、刑集八巻一一号一八六六頁)。そうすると、本件条例は、道交法七七条が集団行動に関して定めるところと全く同一の目的のもとに、これに対する規制を定めているものといわなければならない。

そこで、さらに道交法七七条一項四号、二項と本件条例の許可制との関係について考察すると、道交法は警察署長の許可による規制であるのに対し、本件条例は、県警察を管理するところの公安委員会の許可によるものとし、また、不許可の場合には、詳細な説明書と理由を付して、その旨を遅滞なく県議会に報告すべきことを公安委員会に義務づけている(四条二項)。これは集団行動以外の祭礼行事等も合わせて規制の対象に含める道交法の右各規定に比べ、本件条例は、とくにその中の集団行動について、規制の手続を慎重にしているものと解すべきである。このように、本件条例が、当該地域の社会的諸条件を考慮して、とくに集団行動につき、これをより保護するために道交法と異なつた規制を定めたとしても、それはむしろ表現の自由を最大限に保障しようとする憲法二一条、一三条の精神に適うものであるから、道交法がこれを禁ずる趣旨であると解すべきではない。したがつて、右の限度においては、本件条例は、何ら憲法九四条および地方自治法一四条一項に違反するものではなく、本件条例は、道交法の右各規定の特別法であるということができる。

つぎに、道交法七七条三項は、集団行動についても、警察署長が道路における危険を防止するために必要な許可条件を付与しうる旨規定し、右許可条例違反に対しては、同法一一九条一項一三号により、三ケ月以下の懲役または三万円以下の罰金刑を定めているのに対し、本件条例五条は、許可条件違反行為につきに右道交法の規定よりも重い一年以下の懲役または五万円以下の罰金刑を定めている。これは、道交法七七条三項は、集団行動以外の祭礼行事等をも対象に含めているので、許可条件付与の要件も、道路上の危険防止のほか、交通の安全と円滑をはかるため必要な条件を付しうることとして、本件条例四条三項に比べて緩和され、必ずしも道路における一般公衆に対する危険の発生の高度の蓋然性が認められることを要しないと解することもでき、本件条例四条三項とはその立法の趣旨が異なるようにもみえる。しかし道交法七七条一項四号、二項が、集団行動に対する規制の基準としては、道路における一般公衆に対する実害発生の蓋然性の相当高度な具体的危険の存在を予定し、道路における公共の安全に対する明白かつ現在の危険が認められないかぎり許可を義務つけ、不許可を厳格に制限している趣旨に解すべきことは、前記のとおりであるから、同条三項の許可条件付与の要件も、右各規定の趣旨と総合的に考慮すべきである。すなわち、集団行動に関しては、単なる道路交通の秩序維持を目的とする場合とは異なり、道路における公衆に対する明白かつ現在の危険を防止するために必要最少限度のものに限定しているものと解せられる。

以上によれば、道交法七七条三項は、道路上の集団行動に関しては本件条例四条三項について前述したところと全く同一の目的であり、したがつて、許可条件を付しうる事項および範囲も同一であるというべきであるから、許可条件違反の処罰規定である道交法一一九条一項一三号も、本件条例五条とその目的(保護法益)を同一にするものであり、右両規定は、同一の法益に対する同一態様の侵害を違法類型として定めるものであるといわなければならない。そうすると、本件条例五条は、同一の違法類型につき、道交法一一九条一項一三号に反して法定刑を加重し、より厳重な規制を定めていることとなる。しかし、表現の自由に対する規制を必要最少限度に止めるべきことを要請する憲法二一条、一三条並びに道交法の趣旨に照らしても彼此区別する合理的根拠を見出し難く、本件条例五条の許可条件違反の処罰規定は、道交法一一九条一項一三号の趣旨に反して過大な刑罰を定めるもので、明らかに憲法九四条、地方自治法一四条一項に還反するといわざるを得ない。

3 以上要するに、本件条例四条所定の許可の手続は、一面において道交法七七条よりも集団行動の自由を厚く保護するものと解せられるが、反面、許可条件違反の処罰について、本件条例五条が道交法一一九条一項一三号よりも法定刑を加重している点において、憲法三一条、九四条、地方自治法一四条一項違反として無効の規定であるといわざるを得ないのである。

(三)  結論

冒頭において説示したごとく思想良心および表現の自由の保障は、民主主義社会における基本的秩序の本質的要素であり、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならないと同時に国政のうえでも最大の尊重を要するものであるかぎり、これを規制する法規がその合理的範囲を逸脱し、これを侵害するものであるならば、裁判所は、右法規を規定自体において憲法に違反するものとしてその効力を否定し、その適用を拒否するのでなければ、憲法の要請する基本的人権の保障を全うすることができない。

そうすると以上の説示のとおり被告人らの本件許可条件違反の処罰の根拠である本件条例四条三項および五条は、憲法二一条、三一条、九四条および地方自治法一四条一項に違反して無効の規定であることが明らかであつて、その適用の余地がないといわざるを得ない。したがつて、被告人らに対する本件公訴事実はいずれも罪とならないので刑訴法三三六条前段により、被告人らに対し無罪の言渡をする。よつて、主文のとおり判決する。 (伊藤行夫 穴沢成巳 多田元)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例